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排泄ケアを考える

自立の自覚

ユニ・チャーム排泄ケア研究所

ユニ・チャーム排泄ケア研究所は、「リハビリパンツとパッドの組み合わせ」を検証するために、ある介護老人保健施設に協力を要請しました。2週間にわたる検証テストでお世話になりました。そして、私たちはその施設の現場から多くを学びました。

テスト期間中のある日、認知症棟の看護師長から、「パッドを1日に20枚も使う利用者がいるのだけど、なんとかならないかしら?」と相談を受けました。その方は今回のテストの対象者ではなかったのですが、若い男性研究員と私は、1日に20枚のパッドを消費するというTさんのお部屋を訪問しました。

Tさんは92歳の女性で、要介護度は4、認知症も進行しているとのことでした。Tさんはベッドの横に置いたポータブルトイレを昼夜利用し、ご自分でパッドを交換します。Tさんの様子を観察し、お話をお聞きしました。Tさんは性器脱で、子宮を挙上する手術を受けたそうですが、根治せず、その後子宮全摘出の手術を受けたそうです。術後しばらくして、頻尿となり、畜尿の感覚がなくなり、尿意もわからなくなってしまいました。Tさんの手術を担当した医師は、「子宮を摘出したので、尿もれがあるかもしれません。尿もれに備えてこれを使いなさい」と、ある晩10枚の尿とりパッドをTさんに渡しました。Tさんは「W先生に、朝までに10枚のパッドを使いなさい」と言われたと勘違いし、その指示を信じ続けています。それ以来、Tさんは夜10枚、昼10枚のパッドを几帳面に消費するようになりました。

私たちは、Tさんが今使っている汎用パッドを高機能パッドに切り替えることで、使用枚数を減らせないか検討しました。そして、このアドバイスをいかにTさんに伝え、理解してもらうか、作戦を立てることにしました。信頼している医師のアドバイスにはきっと威厳があり、Tさんにとって、医師の指示は絶対的な権威だったのかもしれません。若い男性研究員は、「Tさんにとって、執刀医のアドバイスが強いインパクトになっています。このインパクトを乗り越える説得を、私にやらせてください。兼用パッド10枚よりケアパッド2~3枚の方が効果があることを理解してもらいます。」と言い出しました。私は「でも、仮にケアパッドの機能を評価してくれたとしても、毎日20枚もケアパッドを使うようになってしまったら、余計な説得をして、コストを増やしたことにしかなりませんよ。」と、けん制しました。

翌日彼は、Tさんの居室に伺い、跪いてTさんと向き合い、「見てくださいこのパッドを。このパッドなら、今使っているこっちのパッドの5倍のチカラがあります。だから、朝までこのパッドで、お肌スベスベ、快適ですよ。ぐっすり眠れます。」と切り出しました。するとTさんは「そんな魔法のようなパッドがあるわけないだろう。」と返しました。彼は「そうなんです。これは魔法のパッドなのです。」Tさんは「子供騙しみたいなことを言うんじゃないよ。私には見ただけでわかるんだ。W先生がくれたパッドがいいに決まっているさ。」彼はしょんぼり。「でも、騙されたと思って一度だけ使ってみてください。」と言ってケアパッド2枚を、ベッド脇のチェストの棚にある兼用パッド10枚の横に置いて帰りました。翌朝Tさんのベッドを訪れると、きちんと兼用パッド10枚が使われ、ケアパッドは2枚とも残されていました。

Tさんは、昼夜20回規則正しく、リハビリパンツをずり下げ、ベッドの介助バーにつかまり、チカラを振り絞って、身体をずらしながらポータブルトイレに移乗します。でも、便座に座って尿が出るわけではありません。パッドを取り替えるだけです。しかしTさんは、「この年になっても、自分のことは自分でできるんだよ。人の世話にはなりたくないからね。こまめにパッドを替えれば、気持ちいいし、臭いもしないだろう。」と言います。そして、「まあ、言ってみれば、パッド生活だよ。でも、私は野生の動物さ。ここにいる人たちは動物園の動物みたいなもの。だって、私は自由だし、保護されていないでしょ。」と言い添えます。そう言うTさんのシャツには便がついていますし、ズボンには尿の染みもあります。介助がなければ移動することもできません。とても、自立とは言えない状態です。しかし、Tさんにとって、ベッド脇のポータブルトイレでパッドを取り替えることは、Tさんの存在感であり、生活している実感であり、自信なのかもしれません。

Tさんの言う野生とは自立のことであり、「自立の自覚」です。自立とは、まわりにいる介護者が感じることではなく、本当は、本人が感じることなのかもしれません。本人が自立を自覚していれば、そしてその自覚を維持しようと意欲をもっていれば、本人にとって充実した生活が成立していることになります。「自立の自覚」を介護者はきちんと評価し、支援しなければいけないと感じました。また、その人にとって、自立を自覚できることはなんなのか、それを見つけ出すこと、自立を自覚してもらえる介護が、私たちの役割なのかもしれないとも感じました。

私たちは、この事例から、トイレは排泄する場所だけでなく、排泄物を処理する(パッドを取り替える)場所でもあることを学びました。高齢者の自立排泄支援は、子どものトイレトレーニングとは違います。全ての人のおむつがはずれ、完全にトイレでの排泄を再獲得できるとは限りません。100%の自立排泄を目標とするのではなく、トイレを使って、おむつやパッドを衛生的に交換でき、まわりの人に迷惑をかけることがなくなることを目標にすべきケースもあります。そして、排泄物の衛生的な処理場所としてトイレが使えるようになれば、自由に外出することができるようになります。例え、排泄が機能的に自立できなくとも、それは「排泄の社会的自立」といえます。在宅に復帰することが、社会にもう一度戻ることができるようになるかもしれません。

若い研究員は看護師長に、「ゴメンナサイ。ご期待に添えませんでした。でも、Tさんにとって、パッドは生活そのものです。1日20枚、1ヶ月で600枚、1万円を超えるコストになるかもしれません。でも、このコストはTさんの生活を支えるための必要経費です。」と伝えました。看護師長はにっこり微笑んで、「ご苦労様でした。いい勉強をしましたね。」と答えました。看護師長は、Tさんのもとを訪れた娘さんに、この話をしました。娘さんは「(そのケアを)続けてください。みなさんより余分に使うパッドは家族で負担します。」と申し出ました。看護師長は「心配しないでください。それは施設がやりくりする問題ですから。」と答えました。それでも、翌日Tさんの娘さんは、兼用パッドを町の薬局で買い求め、大きなパックを抱えて、お母さんのいる老健を訪れました。Tさんの「自立の自覚」がいつまで続くかわかりません。でも、施設の職員も家族も、いつまでも、Tさんが「野生」の気持ちを持ち続けることを望んでいます。

寄稿:船津 良夫(1998年~2017年 ユニ・チャーム排泄ケア研究所 主席研究員)